三州の新ロゴについて


 令和211月から三州ロゴマークが新しく上記の桜島を模したデザインに代わりました。実はこのロゴには歴史にまつわる深い意味があり、そこに至った経緯をご説明したいと思います。

三州とは?

 三州とは南九州の大隅・薩摩・日向の3つの地域を指し、現在絶賛放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも描かれる源頼朝から家祖島津忠久がその地域の平定を命じられて以来長い歳月幾度も戦火を交え漸く16代当主義久公が祈願の三州統一を果たします。

 故にその地域を三州と呼び、島津の別姓として三州の太守と言う表現が用いられます。

 その島津義久公は晩年、葉たばこ栽培が藩の財政に有利になると着眼し家臣の服部宗重をたばこ奉行に任命し、国分地方で葉たばこ栽培に当たらせました。そこで産出された国分たばこは香り高く品質も天下一と称され国内はもとより琉球を経て中国へも貿易され藩財政を潤したと言います。

 現在では国分産地は消滅しましたが郷土民謡鹿児島おはら節に「花は霧島タバコは国分♪」と謳われお殿様が育てたたばこ産業に敬意を払いその功績を後世に伝えています。

日の丸の誕生秘話

 江戸時代末期、フランスやイギリス等列強諸国から侵略の危機迫る中、28代当主島津斉彬公は富国強兵を説き西郷隆盛、大久保利通らを輩出します。

 1853年ペリーの黒船浦賀来航で鎖国が破られ以降、外国と日本の船を識別するための旗印を掲げる事を命じられました。しかし当時はまだ統一した国旗は存在していませんでした。

 そこで斉彬公は目の前の桜島から真っ赤に昇る太陽の力強さに意を得て白地に赤丸の図柄を幕府老中阿部正弘に推挙し徳川側が推す中黒の案を押しのけ、ここに日本の国旗「日の丸」が誕生したと伝わります。

三州産業の誕生

 時代は変わって太平洋戦争終結間もない昭和22年まだ鹿児島県の基幹作物として葉たばこが広く栽培されていた時に戦後の物資不足で耕作資材が入手できない事態に陥ります。

 そこで国分出身で当時鹿児島県たばこ耕作連合会長であった中馬猪之吉翁がその窮状を打開する為、耕作組合事業部として国分の地に工場を建設し翌23年三州産業と命名しました。

 中馬翁は国分市長、県議議長と歴任し参議院選ではあの西郷隆盛の孫にあたる西郷吉之助を上回る得票を得て西郷(孫)さんと共に国政で活躍し戦後復興に尽力した人物だそうです。

 社名由来の記述は見つかりませんが歴史を振り返れば三州の太守が育てたたばこ産業を守り承継する企業の名は三州産業の他には無かったものと想像します。

restart!

 そして令和、時代が繰り返されるように海の向こうから未曽有の危機が押し寄せ、地球環境や紛争有事に世界は混迷を深め、取り巻く企業環境も悪化の一途にあります。

しかし、我々も先人達が桜島から昇る太陽に励まされた様に明るい未来を信じ力強く困難を乗り越えていきたい。

その様な願いを込めSANSHU日の出:日の丸を融合させ桜島をかたどり新しいロゴマークが誕生しました。

我々はこれからもこのロゴが描く様に鹿児島から世界へ元気を発信し続けたいと思います。

三州産業株式会社